ぴーちかのブログ

モリタゼミ/3期生

メモ

 

先日進路について気になっていた研究室の教授との対面で言われたお言葉

「話を聞いた感じ君は素直そうな子な気がする。」

意味(シンプルに物事を受け入れそうだね、うちの研究室には向いてない)

 

なかなか刺さるところがあります。あ、これは多分いい意味で言われてないなっていうのが暗にわかるお言葉でした。優しい言い方だなぁ、日本だなぁって聞きながら思ってました。

 

私はずっと自分がやりたいと思っていた研究の内容がなかなか手を進まない時があります。それは専門書や論文を読んでる文章でちょっと分からなすぎて辛くなったり何を言いたいんだろうって悩んだりすることもそうだし、自分の方向性を確認しては訂正してだんだん苦しくなっていく。でもその苦しみをちょっと乗り越えよそう思う先に何か自分の知りたいことが明らかになるんじゃないか、というかもうなっているんじゃないか、それなら新規性がそこから見つけられるんじゃないか、そういった期待のもとに向かってました。

 

「大学院なんて来ないほうがいいよ。だってろくなことない、苦しいところなんだよ。研究するなら自分の好きな物をパートナーにしないと研究はただの苦しみにしかならない。好きな事を使って研究するならまだ進むだろうけど、社会の為と思ってやる、義務としてやることほど苦しい研究もないよ。君の好きなものはなんなの??」

 

なんか痛いほど刺さるなぁ。好きなものと研究をした方がもちろん楽しいんだろうけど、どうしたら今の自分の研究したい事と好きなものがマッチするんだろう。まだまだ抽象的で概念的な話しかできないのは情報のインプットの量が足りない、そのことが痛いほど伝わってくる。

 

私は鎖国的思考で色んな理不尽なことは世の中にはごろごろと転がっているけどそっちばかりに目を向けると何も出来ないことの無力感に苦しめられるし、たかが私一人に出来ることは限られてて、今はその中でも自分が出来ることを見つけようって思ってた。だけどそれってただの見たくないものには蓋をしてしまうタイプなのかもしれない。

 

古賀先生のゼミの方々はその世の中のおかしいところに対して怒りをきちんと指摘している。例えば芸術がいいものって言っているけど芸術は悪が蔓延ってて、今なんか特定の人を排除する善意のセパレートやデザインもある。そんな話がきちんと事象ベースに話が展開されていくし、政治家から行政から少しギャング的思考って仰ってたけど、すごいパワーを感じた。理想と現実があって、指示を出す側は理想に近づくために指摘するだけで体制は変わろうとしない。一番変わらないといけないのは体制を作る側なのではないか。

 

世の中の常識や一見すると正しいと思われているおかしさ、それを怒りからの嘆きがどんどん出てきて、すごい有料コンテンツの愚痴大会かと思えるけど、その怒りを共有してパワーに変えて身近なところから変えようと奮闘している、そんな人達の集まり。古賀先生はうちのゼミ生にまとな所に就職した人はいないって言っていたけど、それはどこか誇らしそうにも見えた。

 

私はやっぱりどちらが正しいとか分からなくて、古賀先生たちが仰っていることも痛いほど分かるし、現場の声の話も一般的にそう思われているっていう話も一般人として痛いほどわかる。

どんどん思考が揺さぶられる感じがして、思考がずっとグレーなぼんやりする感じ。世の中にはおかしいところも汚い思考や善に隠されてる部分が確かにある。特別な支援や制度は、一見よく見える。けどそれって使用している人を差別や人権侵害になってるんじゃないかって言われるとその面あると分かる。でもどこかまだ染まりきれない自分もいる。もし自分が現場で働いていたら手を挙げてその意見に賛成出来ないと思えるから。おかしいって分かるけど、分からない。永遠につかない折り合いがあって、それはどちらかがずっと負けているのかもしれないし。

 

常識では何言ってんだって言われる様なことなのかもしれないけど、でもそこに目を背けない人もいて、私はどこの方向に行きたいのかなぁ。でももう見ないふりはしたくないかな。知らないのが一番嫌かも。

 

私はあま甘ちゃんだから自分の周りの人は幸せにしてたいし、大切にしたいけどそれすら難しくて。それでも最近は間接的に関わる人も自分の関わったモノで少し幸せに出来るようになりたいって思ってきた。

結局そんなのは小手先だけでしかない、そんなのじゃ何も根本的解決ならないって言われるのかも知れないけど、譲りたくなくって。

 

 

 

ここまで。