ゼミ活動記録No.27古典③
お疲れ様です!☺︎
今回は教養の古典3回目について記録していこうと思います。
今回も、大阪工業大学の横山先生にお越しいただき、源氏物語について考えていきました!
源氏物語とは三部構成になっており、
第一部源氏の誕生から天皇になるまでの全盛期
第二部源氏天皇になってから死ぬまで
第三部源氏の死後、子孫たちの恋と人生の話
になっています。
ちなみに第三部のお話については、源氏よりも魅力がないや、終わり方がもやもやしたり、救いがないということで、第4部として続編を山路の露とし、創作されたそうです。
では、なぜ紫式部は三部をつくったのか、また、第4部を作るならどのような内容にするか考えてみようということで進んでいきました。
なぜ紫式部は第三部を書いたのか。
私はなぜ第三部まで書き続けるのかと考えた時に、誰かのために書いていたからかなと思いました。誰か特定の人に向けて書いているなら、他の人にどう評価されようとその人に届くように書き続けるかなと思ったからです。
他にも人気があって求られたからや、第四部まで続けるつもりだったから、結末を読者に委ねたかったからなど色々な推測がありました。
回答としては、実際には、紫式部は出てくる浮舟に自分を重ねており、自分のために書いていた。また、よく読むと鎌倉時代に使われていた言葉が使われており、紫式部の妹が書いた作品ではないかと仰られていました。
第三部には、父親は違いますが源氏の息子として薫、また源氏の孫にあたる匂宮、薫の好きだった姉に似ている浮舟が主な登場人物となります。
2人に言い寄られて自殺しようとして助けられた浮舟は、出家し、薫は浮舟の弟に浮舟への手紙を頼むが断り続けられ、お話はなにも救いのないままお話は終わってしまいます。
以上のことを踏まえグループに分かれて第四部の物語を自分たちで考えていくことになりました。
私のグループは、まずどうしようかなあ…と進む切り口が分からず、一旦状況整理から始まりました。
まず、グループのメンバーが三角関係に目をつけ、誰かをあやめたい!とアイデアを出してくれたので、当時1番起こりやすそうなボヤ騒ぎが浮舟の寝ているときに生じるようにしました。しかし、このままでは第四部でも全く救いがないので、お互い出会わせることにしたいと思いました。そこで、ボヤ騒ぎを聞きつけた薫と浮舟が出会いお互いに思いを告げることにしました。そこで浮舟は息を立つのですが、薫は大切な人を2度失ってしまうことになります。薫は血は繋がりこそないものの、好きな人を失い、面影を求め、たらしとなった源氏と同じ境遇に非常に似ており、薫は源氏ver.2としてこのまま進むのではないかということで終わりました。
私はいつも突飛な発想やひらてきが上手くなく、他の講義で事業プランを考えた時にも、私が思いつくものは、既存のアプリやサービスがあると実感しました。いつも、新しいアイデアを思いつき創造力がある人は良いなと思うのですが、私はその良さを引き出すことやサポートが向いているのだと思います。だからこそ、せっかく出してもらえたアイデアを活かしたい思うし、これからも練習していきたいと思います。
他の班のストーリーも面白くて、浮舟の夢で恋愛マスターに助言されて薫と会うことを決断しハッピーエンドだったり、他のライバルが出てきたり、駆け落ちしたり、結果的に浮舟と薫は結ばれない選択肢をとったり、被らずにでも第4部のお話にどこか近い所があって、聞いていても楽しかったなと思いました。
実際の山路の露では、浮舟は現世特に母や女房に何も言わずに出てきたことを非常に気にとめており、僧侶からの助言で、会いに行くことにしたのでした。薫とも会いますが、お互いに関係は変わらないままであり、特にここで大切に書かれているところは母や家族へ想いを告げる場面だそうです。
これまで3回にわたって古典を学んできたのですが、
ではあらためて古典は必要なのか。
なぜ古典を勉強するのか、私にとっての古典とは何か。が、今回出された最後のお題です。
私は正直なところ、受験勉強での古典は、問われたものを適切に訳す、素早く内容を理解することを求められるので好きではありません。ですが、背景やテーマを楽しんだり、作品を深く読んだりするため自分から古典を読んでみたいなと思ったときに、昔学んでいたことによって、1から勉強していたときよりも抵抗なく読むことができたなと思いました。
古典を勉強することは、もちろん、昔の人の考えを知ることのできるものであり、歴史から学ぶことができる、日本のアイデンティティの側面もあると思います。それに加え、私は、物語を自分ならどう書くか考える創造力も養え、現代には古典をモチーフにして新しいテーマを持たせた素敵な作品が生まれており、古典を学んでないない時よりも少し豊かに考えさせてくれることに繋がるのかなと思います。これは、横山先生の仰っていた古典に参加するためということにまとめられるのかも知れません。
古典が必要かどうかは、何を基準にするかや、人によるのかもしれませんが、私は昔の作品が現代まで受け継がれているのは、少なくとも失いたくない作品だと思われているからであり、必要とされているのだと思います。
古典の予備知識はほとんどない中でしたが、面白くて、興味がわきました!横山先生、3回にわたって、講義していただき、本当にありがとうございました!
おわり!